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ニューロダイバシティー時代の教育とは①

 日本の教育に批判が向けられるのは、きまって「学力低下」が指摘される時です。その指標は、PISA型の国際ランキングで語られます。とりわけ2000年代の低迷期には、低下の原因は「ゆとり教育」云々と語られてきました。近年、国際ランキングの上位を日本が取り戻しつつあるようですが、そもそも、そのような学力指標で教育を図っていることに問題があると私は考えます。 かつて、「ゆとり教育」が学力低下の原因だと問題視されたが、徹底的に勉強をさせる非民主国の方が望ましいと言えるのでしょうか。最近の子どもは勉強しなくなった、学習時間が減少している等の指摘がしばしばなされますが、それは本当なのでしょうか。 私が知る限りでは、今の子どもたちは、私の時代と比較にならないくらい勉強「させられている」ように見えます。学校から出される宿題の量に驚くとは聞かされていましたが、息子が小学校に進学すると毎日、宿題が出されていますし、幼稚園時代からまわりの友人のほとんどが塾や習い事をしていました。小学校の高学年になれば、塾にいっていない子は殆どいません(もしかしたら都市部のことかもしれませんが)。少子化で競争がなくなり、受験勉強がなくなると思いきや、学校の先生に聞けば、過酷な受験に苦しんで可哀想だとも聞きます。 しかし、幼稚園から小学生まで嫌々させられた勉強の反動で、その後の人生での学びは坂道を転げ落ちるように減少しています。 一体どういうことなのか。 はっきり言えることは、受験勉強は「学習の意欲」や「知的好奇心」を涵養しないということです。その証拠に、日本のアカデミックな国際競争力は激減しています。 では、日本の教育システムが崩壊しているのかといえば、そうではないでしょう。 日本は、世界で類の見ない規格化した人格を生み出す画一化教育の成功国です。 子どもというのは生来資質や気質・能力や関心にばらつきがあるもので、それぞれで一番いい生き方を社会で見つけていけるように育てていくものだと思います。 にもかかわらず、日本の教育の目的は「子どもたちを均質化」すること、「みんなんと同じであることを最優先し、みんなと違うことを恐怖する」ように徹底化するシステム作りに成功しました。 私がお会いする、不登校の保護者は、このシステムから生み出された成功者なのだとつくづく感じます。「不登校」をそもそも受け入れられないの...