【GIERI×カナダFireside】毒と旨味の境界線で学ぶ。小豆島・四海の漁師が教える「知恵」という名の生存戦略
1. 「毒があるから、食べるな」という教育の限界 先日、小豆島・四海地区の漁業関係に詳しい地元の方を訪ねました。差し出されたのは、立派な貝(アカニシ貝)。そこで語られたのは、現代の安全管理教育とは対極にある、凄みのある「食の作法」でした。 「ここには毒がある。でも、ここさえ取れば一番旨いんだ」 行政や保健所は「危ないから食べるな」と一律に禁止します。それは最も効率的でリスクの低い管理方法かもしれません。しかし、その方の教えは異なります。「毒がどこにあるかを知り、自らの手でそれを取り除き、自然の恵みを最大限に享受する」。これこそが、かつて人間が自然界で生き抜くために磨いてきた「知恵」の本質なのです。 2. きれいすぎる海に魚はいない。パラドックスから学ぶ環境の真実 対話の中で、瀬戸内海の「不都合な真実」についても触れられました。 30年前の「汚れた海」: 赤潮が発生し、社会問題となっていた時期。 現在の「きれいな海」: 排水規制が進み、透明度の上がった海。 一見、後者が正しい環境保護の成果に見えます。しかし、現実は「きれいになりすぎて栄養が消え、魚が消えた海」でした。漁獲高は全盛期の1/10。 私たちが教科書で習う「環境保護」の定説が、現場の生態系では必ずしも正解ではない。この パラドックス(逆説) を目の当たりにすることは、高いIQや鋭い感性を持つギフティッドな子供たちにとって、知的好奇心を激しく揺さぶる最高の教材となります。 「海がきれいすぎて、魚が減った」と同様の話を小豆島の他の方からも聞きました。真相はどうなのか?この知的探求とその追究こそ、ギフテッドネスを活かす道です。皆さんはどう考えますか?教科書が間違っているのか?小豆島の人が勘違いしているのか?、また、なぜ、このようなパラドックスが生じているのか?追究してみて下さい。 3. 「いただきます」の先にある残酷さと感謝 今夏、GIERIが協力するカナダの教育団体「Fireside Adventures」の若者たちがこの地を訪れます。今、計画しているのは、単なる観光漁業ではありません。 指を噛み切るほど獰猛な「デビル」としてのハモと対峙すること。 命を奪う瞬間、色がサッと変わるタコの生命力を手に感じること。 「かわいそう」という感情で思考を止めず、その残酷さを引き受けた上で「命をいただく」という日本の精神性...