『世界で学ぶ、異文化を越えて働く』 ⑦アルゼンチン編: マフィアの船で薬を盛られた日――“正しさ”が通用しない世界の歩き方
いま、子どもたちに必要なのは「英語」よりも、 多様な価値観を受けとめる力──つまり「異文化のまなざし」です。
本連載では、国際ビジネス、教育、地域開発などの現場で40年以上にわたり、五大陸・88か国を実地に歩いてきたGIERIの国際教育アドバイザー・栂野久登(とがのひさと)氏が、現場で肌で感じ、対話し、乗り越えてきた「文化を越えて働く」リアルな知見を語ります。
単なる“海外体験”ではありません。 言葉・習慣・価値観のズレに直面しながら、どう人と関係を築き、 どう「違い」を教育やビジネスの力に変えてきたか──
もし、あなたの子どもが、ルールも正論も一切通用しない「理不尽」の壁にぶつかったら。 親として、どんな力を授けますか?
ブラジルで胃が真っ白になるほどのストレスを乗り越え、世界中のトラブルシューティングを担当していた私に、アルゼンチンは「合理性の死」と「生の危険」を同時に突きつけてきました。
そこは、「正しさ」よりも「哀愁」と「感情」がすべてを支配する国でした。
1. 「ゴッドファーザー」との対峙
1980年代後半、私はアルゼンチンの代理店が抱える数十億円の未払い債権を回収するというミッションを負っていました。
調査を進めると、衝撃の事実が判明します。その代理店のオーナーは、イタリア(シチリア系)マフィアのボスだったのです。
前任者からは「彼は“良い人”だから、事を荒立てないでほしい」と引き継がれていました。日本的な「人情」で支払いを先延ばしにされ続けた結果、巨額の焦げ付きとなっていたのです。
普通なら、ここで撤退を考えるでしょう。しかし、私は違いました。 幼い頃から『ゴッドファーザー』などの映画に憧れていた私は、「本物のマフィアに会える」という好奇心と、「映画の主人公になれるかもしれない」という無謀な高揚感に包まれていました。
私は顧問弁護士と作戦を練り、まず相手の懐に入ることから始めました。あえて債権の話はせず、友人として付き合い、彼らの文化や誇りを学んだのです。彼らは自分たちを「ヨーロッパの末裔」と強く信じ、そのプライドと「哀愁」で生きていました。
2. クルーザーでの「脅し」
関係を築いたある週末、私はそのボスからラプラタ川でのクルーザーパーティーに招待されました。 「これで資産(クルーザー)の現物確認ができる」。私は弁護士と組んで進めていた「資産差押」の証拠集めとして、喜んでその招待を受けました。
豪華なクルーザーで宴が始まり、私は勧められるままに酒を飲みました。 次の瞬間、私は意識を失っていました。
数時間後、船室のベッドで目を覚まします。薬を盛られたのです。 幸い、致死量ではありませんでした。彼らは私を殺す気はなかった。「これ以上、私たちの資産を探ればどうなるか分かるな?」——それが彼ら流の「脅し」であり、最後の警告でした。
背筋が凍る思いと同時に、私は不思議と冷静でした。 「映画のようだ」と、どこかで面白がっている自分さえいたのです。
3. 正義の決行と、決死の逃亡
脅しを受けた私に残された道は二つ。諦めて引き下がるか、すべてを失う覚悟で踏み込むか。
私は後者を選びました。 翌日、私は顧問弁護士(彼の父親は最高裁の長官でした)と共に裁判所へ向かい、すべての証拠を提出。パーティーの翌日という、相手が最も油断しているタイミングで、差押の法的手続きを電光石火で完了させました。
すべてが終わった瞬間、弁護士が私の肩を掴み、血相を変えて言いました。 「トガノ、よくやった。だが、もう一刻もここにいてはいけない。すぐに空港へ向かい、ブラジルへ逃げろ」
私は言われるがままに空港へ向かいました。飛行機に乗り込むまでの間、いつ背後から撃たれてもおかしくない。全身の汗が止まらない、人生で最も長い時間に感じられました。
子育てへの示唆: 「正しさ」より「しなやかさ」を教える
アルゼンチンは、ビジネスが「トゥーマッチ・エモーショナル(感情的すぎる)」な国でした。合理的なブラジルとは対照的に、彼らはビジネスの交渉ですら、数字ではなく「プライド」や「哀愁」で判断しようとします。
彼らにとって、私が差押を敢行したことは「裏切り」であり、彼らの「正義」に反することだったでしょう。
この体験は、「正義やルールは一つではない」という現実を教えてくれます。
これは、子育てのメタファーです。 私たちは子どもに「ルールを守りなさい」「正しいことをしなさい」と教えます。それは日本という社会で生きる上で非常に大切です。
しかし、一歩外に出れば、あるいは学校という小さな社会であっても、その「正しさ」が通用しない理不尽な場面に必ず出くわします。
その時、わが子を守るのは、「正しさ」を振りかざす頑固さではありません。 必要なのは、相手がなぜその行動を取るのか(彼のプライドや哀愁は何か)を想像する力。そして、時にはマフィアから「逃げる」ことを選んだ私のように、危険を察知し、自分の身を守るという「合理的な判断力」です。
困難な状況さえも「映画のようだ」と客観視できる、しなやかな強さ(レジリエンス)。 それこそが、予測不能な世界を生き抜くための、最強の「国際教養」なのです。
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