『世界で学ぶ、異文化を越えて働く』 ⑧イギリス編: 「名誉白人」と「汚い英語」――“見えない違い”を読み解く力

 いま、子どもたちに必要なのは「英語」よりも、 多様な価値観を受けとめる力──つまり「異文化のまなざし」です。

本連載では、国際ビジネス、教育、地域開発などの現場で40年以上にわたり、五大陸・88か国を実地に歩いてきたGIERIの国際教育アドバイザー・栂野久登(とがのひさと)氏が、現場で肌で感じ、対話し、乗り越えてきた「文化を越えて働く」リアルな知見を語ります。

単なる“海外体験”ではありません。 言葉・習慣・価値観のズレに直面しながら、どう人と関係を築き、 どう「違い」を教育やビジネスの力に変えてきたか──

ドイツが「合理性と規律」の国なら、イギリスは私に「目に見えないルールの複雑さ」を教えてくれた国でした。

「あなたは白人ですか、有色人種ですか?」

もしあなたのお子さんが、外国の入国審査でこう問われたら。そしてその答えが、訪問するたびに変わるとしたら。

子どもたちは「違い」をどう受け止め、どう振る舞えばよいのでしょうか。イギリスでの体験は、まさにその「見えない違い」との格闘でした。

1. 「カラード」から「ホワイト」へ

私が初めてロンドンを訪れたのは1974年、学生の時でした。当時、1ポンドが1,000円以上もした時代です。入国審査の書類には「White (白人)」「Black (黒人)」「Coloured (有色人種)」の欄があり、私は迷わず「Coloured」にチェックを入れました。

それから約8年後の1982年。今度はドイツからの転勤(留学)で、サウサンプトン大学の大学院に入るためにイギリスの地を踏みました。日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれる経済的絶頂期。私は前回と同じように「Coloured」にチェックを入れ、パスポートと共に審査官に提出しました。

すると、審査官は私のパスポートを二度見、三度見してから、訝しげな顔でこう言ったのです。

「君のパスポートはジャパニーズだな。ジャパニーズは『ホワイト』だ

私は耳を疑いました。「何を言っているんですか? 私は日本人で、黄色人種です。ホワイトではありません」と反論しましたが、彼は首を横に振り、私の申請書を訂正して「ホワイト」の欄にチェックを入れ直しました。

「名誉白人(Honourable White)」——。

それは、かつて南アフリカのアパルトヘイト政策下で、経済的結びつきのために日本人が分類された区分でした。大英帝国のプライドを持つ彼らにとって、「有色人種が自分たちより上(経済的に豊か)である」という現実を受け入れることは、彼らの世界観を揺るがすことだったのです。

彼らにとって、人種とは肌の色ではなく、「経済力」と「階級」を示す記号でした。

この階級意識は、街のパブでも露骨でした。学生である身分を隠してパブに入ると、アジア系の私に話しかけてくる人はいません。しかし、ひとたび「サウサンプトン大学の大学院生(ポストグラデュエイト)だ」と明かすと、周囲の態度は一変。「サー(Sir)」とまで呼ばれ、急に尊敬の対象となるのです。当時のイギリスにおいて「大学生」であることは、絶対的なエリートの証でした。

肌の色という「見える違い」よりも、経済力や学歴という「見えない違い(階級)」が、人間関係の距離を決定づけていました。

2. 「お前の英語は汚い」

この「見えない違い」の核心は、「言語」そのものにありました。

私はドイツ駐在とビジネス経験を経て、自分の英語、特にアメリカ式の「結論から先に述べ、理由を簡潔に説明する」ロジックに自信を持っていました。しかし、その自信は大学院のゼミで粉々に砕かれます。

あるマーケティングの授業で、私は実務経験に基づき、本の上でしか理論を知らない若い講師に反論しました。「あなたの理論は机上の空論だ」と。

議論が白熱し、理論で私を論破できないと悟った瞬間、彼はまったく別の角度から私を攻撃しました。

「そもそも、お前の英語は汚い。アメリカンアクセントで何を言っているか聞き取れない。ランゲージ・ラボに行って、その発音を徹底的に直してこい!」

これは単なる発音の問題ではありませんでした。彼らにとって「アメリカ英語」とは、論理が単純で、直接的すぎる、「教養のない」言葉だったのです。

一方、彼らがよしとする「クイーンズ・イングリッシュ」は、物事を直接的に表現しません。まるで京都の「イケズ」文化のように、遠回しな表現や皮肉、言外のニュアンス(イギブレ)を汲み取ることが求められます。

例えば、ビジネスレターの最後に添えられる "Your kind cooperation shall be highly appreciated." という一文。アメリカ式なら「ご協力感謝します」という率直な感謝ですが、イギリス式では「(感謝しているかどうかは別として)協力するのが当然でしょう」という高圧的なニュアンスが隠されています。

私は会社からの派遣留学生という立場上、反論もできず、3ヶ月間ランゲージ・ラボに通い、徹底的に発音と「イギリス的論理構造」を叩き込まれました。

3. 「インターナショナル」の意味

さらに私を驚かせたのは、イギリスという国の「内なる多様性」でした。

ある日、テレビで「インターナショナル・ラグビーマッチ」と銘打たれた試合が中継されていました。しかし、対戦カードは「イングランド対スコットランド」。

私たちが「イギリス(UK)」とひとくくりに呼ぶ国は、実際にはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという、歴史も文化も言語(ウェールズ語などは英語とは全く異なります)も違う「国々」の連合体だったのです。彼らにとって、スコットランド人との試合は、誇りをかけた「国際試合」そのものでした。


子育てへの示唆: “見えない違い”を想像する力

イギリスでの体験は、「異文化理解とは、肌の色や食べ物の違いを理解することではない」と痛感させてくれました。

それは、相手の言葉の裏にある「思考様式」態度の背景にある「階級意識」、そして一つの国の中にある「内なる多様性」を想像する力です。

これは、そのまま子育てのメタファー(寓話)となります。

私たちの子どもがこれから生きる社会は、まさに「見えない違い」に満ちています。学校のクラス、クラブ活動、そして将来の職場。そこには、家庭環境、価値観、暗黙のルールといった、目に見えない無数の「文化」が存在します。

子どもが「みんなと違う」と悩むとき、それは「名誉白人」と言われた私のように、相手の「ものさし」で測られているだけかもしれません。 子どもが「あなたの言い方は間違っている」と誰かを傷つけたり、逆に傷つけられたりしたとき、それはアメリカ英語とイギリス英語のように、お互いの「ロジック(思考の前提)」が違うだけかもしれません。

親として私たちができるのは、英語の点数を上げること以上に、「なぜ、あの人はあんな言い方をするんだろう?」と、相手の背景にある「見えない文化」を想像する視点を育むことです。

違いを恐れるのではなく、違いの背景を面白がる。 そこにこそ、多様性の時代を生き抜く「本当の国際教養」が宿るのです。





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