応用行動分析(ABA)は「ふつう」の子にも利用できますか。
7月にとある心理研究機関で、学校心理士資格更新研修のセミナー講師をしました。発達特性と不登校に関わるお話をさせていただいたところ、以下のような質問があり、回答しましたので、掲載します。私自身は、行動分析の利用の限界が現場で多々みられるようになっており、ポリヴェーガル理論などを参考に対応されるのがいいと感じていますが、ご参考になれば。
■学校の先生からの質問
私の所属する教育委員会では、発達特性があるなしにかかわらず、学校を休んだ際は、家庭で何をしているのかの機能分析をしています。機能分析を行い、家庭で過ごす時よりも登校したくなるような天秤を作りながら、不登校に対する支援を進めています。
機能分析を行うに当たり、不登校の原因にいじめがないこと、対象児の年齢が小学生以下であること、比較的不登校の期間が長期化していないこと等の条件をもうけています。
私が関わらせていただいた事例のお子さんも、発達特性はなく、ごく普通の小学生でした。石川先生がお話しくださった行動分析のアプローチは、発達特性のあるなしに関係なく有効ですか?教えていただけるとありがたいです。
■私からの回答
丁寧なご感想及びご質問をいただき、誠にありがとうございます。
端的にお答えしますと、行動分析の手法は「いわゆる発達特性のあるなしに関係なく」有効です。
一般に「応用行動分析」という形で、教育の場に浸透していますが、この手法の根っこにあるのは「行動主義」の考え方です。
行動主義では、「心」という曖昧なものを排除し、心は「行動」に還元されると考えます。
「行動」の集積が、「心」を形成していると捉えることで、「心」の存在を実体として取り扱う難題から解放されることになりました。
この考え方が「心の哲学」において「真」であるかはともかく、心を「行動」だけで捉えることで、「心」の解釈の深みにはまることなく、相手への対応ができるのが、「行動主義」の考え方を教育現場で採用する最大のメリットになっています。
ただ行動主義自体は、本来、人間一般の心を探る一つの方法なので、発達障害に限定されるものではありません。
先生は、「かゆい」と「痛い」を別物と考えますでしょうか?実験心理では、「刺激」として同一にとらえます。
泣きながら口を開けている子鳥に母鳥が餌をあたえる姿に「愛情」を感じるでしょうか?「愛」などなく刺激と反応だけで説明するのが「行動主義」です。
違和感を感じるかもしれません。
しかし、「愛情では?」という余計なことを考えずに機能面から客観化することに、「行動分析」は優れており、不登校の子どもの「心」をあれこれと斟酌することなく、対応をすすめられるという利点があります。不登校児の複雑な「心」を解釈し、理解をするのは不可能かもしれないからです。(とはいえ、心を考えることは、とても大切です)
先生の文面に「ふつう」の子どもとありましたが、発達多様性を考えると「ふつう」は存在せず、やはり何らかの特性をもっていると考えるべきでしょう。だからこそ不登校状態になったのかもしれないと考えることもできます。
どんな人もASD・ADHD両方の気質をもっており、社会生活に影響ない程度に、どちらかが優位に働いていると言われています。
そうすると、もちろん「ふつう」の子どもの中にも、自閉傾向やADHD傾向などをもっており、その度合いの関係から、自閉傾向が強いお子様には、とりわけABAが有効である場合が多々あるでしょう。
ただし、セミナーでも触れました通り、全ての児童でもうまくいくわけではなく、失敗例も報告されています。児童生徒自身が「トップダウン」での対応ができるかが、行動分析が利用できるかの見極めかと思います。
教育委員会が、「いじめがない」という条件をつけているのは、「潜在的なトラウマ等」がないということを考慮しているのではないでしょうか。
幼少期に心に傷をおっていないこと、感覚の問題がないこと、話を理解し、思考できるところまで脳が成長しているか、という観点も大事だと思われます。
蛇足ですが、現代の子どもたちがサービスの受益者として損得の世界観で育っていることが、唯物論的な応用行動分析が効果的な理由なのかもしれません。
長々書きましたが、行動分析はどの子にも有効です。対象年齢も発達段階を考慮すれば、必ずしも小学生以下に限らなくても利用できます。特別支援や福祉サービスでは、実年齢に関わらず用いられています。
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
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