子育てに最も大切なただ一つのこと2025
子どもの個性・特性を大切にし、多様性が求められる時代にあって、
子育てに最も大切なことは子どもを「傷つけない」ことただ一点につきると思われます。
子育てに「解答はない」という識者が多数いる中で、子育ての「解答」を提供する子育て支援のビジネスが沢山広まっています。子どもも多様な時代、親も多様、自分自身も個性があるにもかかわらず、模範解答にすがり、答えを欲しがる方が多いです。
現在の世相をよく反映しているのでしょう。
子育て経験者や成功者の話が、自分や我が子、我が家に当てはまるのか、立ち止まってみる必要があるかもしれません。
そんな中で、より普遍的な親子問題を考えたとき特筆すべき課題は
「愛」ではないでしょうか。
「愛情もって育てる」ことに誰も疑義を申さないけど、「愛ゆえに」間違いを起こしてしまうことが、私たち人間には実に多いと思われます。
子育ては子どもが大人になっていないという限りで「未熟」ですが、
我々親自身も、子が生まれることではじめて「親」になるわけで、「未熟」な親なのです。
未熟な親であれば、それと気づかぬうちに子どもを傷つけてしまうことがあります。
「子どもを愛しているから」
「子どものことを心配して」
「子どもの将来のことを考えて」、
親たちは子どもを傷つけているという事実が例外なくあるからです。
このような感情的事実に思い当たることはないでしょうか。
私にはあります。
誤解を恐れずに申せば、
愛ゆえに、親が無理をして、子どものことを想像し、
自分の想いを我慢して、理解し、共感しようと努力すればするほど、
子どもに負債を要求することになります。
つまり、「あなたのためにこれだけ努力してきたのだ」から、
「あなたも見返りをよこしなさい」というメッセージになりかねないのです。
「誰に食わしてもらっているんだ!」と言っているのと同じです。
この発言に対する子供からの回答は、
「産んでくれと頼んだ覚えはない」です。
「親」自身も子育てをする家庭で「成熟」していかなければなりません。
だとしたら、「親」は子どもに、リスペクトをもって接しなければなりません。
この着想は、もちろん私オリジナルのものではありません。
『論語』に「鬼神を敬して之(これ)を遠ざく」という言葉があります。
これは、コミュニケーション不能な相手である「鬼神」でも人間が示す敬意には反応する、ということです。
子供を「鬼神」と考えようとは、思想家内田樹の主張ですが、私もこの考えに得心します。
「どうやって子供を愛そうか」を工夫するより、
「どうやって子供を傷つけないようにする」のほうが大切です。
この子のなかには親の理解や共感を絶した思念や感情が潜んでいることを素直に認め、無理に理解したり、共感をしようとしたりしない。無理をしない。
ギフテッド・チャイルドであればなおさらでしょう。
人間は他人から熱烈に愛されても気づかないことは多々あります。その上、愛されたことで、やっかいな気持ちになることもあります。しかし、他人から敬意を抱かれて困ることはないのではないでしょうか。
愛情よりも敬意の方が子供にはっきり伝わるはずです。
子供は「愛するのではなく、傷つけないようにする」。
子育てを語る言葉は無数にありますが、至言であると思います。
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