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3月, 2025の投稿を表示しています

日本とカナダの教育の違い⑥ グループリサーチ、課題発表が多い

ほどんどの科目で、グループ学習が行われます。グループのメンバー同士で助け合ったり、一緒に研究課題に取り組むことで、協調性を育んでいきます。   社会に出てからは、あらゆる人と関わりながら仕事をすることがほとんどです。お客様がいて、上司がいて、関連会社があって、関係性によって必要なコミュニケーションスキルもさまざまです。 もちろん1人で仕事をしている作家さんや画家といったお仕事の方もいますが、それでもお客様に購入してもらったり、社会にその存在を伝えたり、コミュニケーション力があれば、活躍の幅は大いに広がります。   グループで課題に取り組んだことについて、発表することもセットで行われます。課題発表を通して、自分の意見や考えを言葉にして伝えたり、新しいアイディアを相手に分かるように説明する力というスキルも社会に出てからとても必要です。 そのための練習を、小中学校の頃から繰り返し行い身につけていくのです。   また、多様な学びが当たり前のカナダでは、年齢でしっかりと分けるということもあまり行われません。能力次第で飛び級をすることもしばしばです。 そのため、様々な年齢の生徒が混ざりあって学んだり、同じグループになって課題に取り組む機会も多くあります。 これも、社会に出たときに役に立つことの一つで、実際の社会では同じ年齢の人とだけ接する機会というのはほとんどありませんよね。 年上が年下をサポートしたり、その姿を見て自分が年上になった時の接し方を学んだりしながら、リーダーシップのトレーニングをしていきます。   日本の教育はとにかく順位をつけたがります。その順位は本当に必要でしょうか? 正直勉強が出来なくても、リーダーシップ力やコミュニケーション力、人間的に魅力的な人、社会的に役立つ仕事を達成しようとする人達は、人がついていきます。勉強が出来る人もこの人のためならと協力します。 学校でいい成績がとれればそれは良い事ですが、それよりもお互いの強みをいかしてグループをまとめる力を持つという事、すなわち社会に出てから活躍出来る人材育成こそ、本当の教育ではないでしょうか? 以下の記事もご参考にしてください。 日本とカナダの教育の違い① https://gieri-jp.blogspot.com/2...

日本とカナダの教育の違い⑤ 受験も、浪人もない。とにかく褒めて育てられるカナダのこどもたち

  日本の小中学校で、作文や絵のコンクールや大会で優秀な成績を収めた人が、全校集会で表彰されたりしますが、表彰状をもらったことがある人は、どれくらいいるでしょうか? カナダでは、小学校中学校の間に、みんなが何十枚もの表彰状をもらい、全校生徒の前で表彰されます。  その表彰の中身は、 「机の中がきれいにできるようになった」 「笑顔が素敵」 「英語の勉強を頑張った」 「友達に親切にできた」 「自分で考えた理科の実験を終わらせた」 など、 人の行動、努力をたたえる賞状が数多く準備されています。勉強面でも、結果を評価されるだけでなく、取り組みや、チャレンジしたこと自体が褒められることなのです。 私の知り合いは、中学生で60枚ほど賞状をもらった方もいます。   みなさん、どうでしょう。たくさんの先生や友達から褒められ、素晴らしいと言われて、いやな気持ちになる子どもはいませんよね。   カナダでは、中学までは成績がつきません。これもとても良い事だと思っています。成績がつかないから生徒の学力が伸びない、というわけではないのです。 学ぶ事、探求する気持ち、感動体験がなにより大切で、学ぶことを楽しむことを教えるのが中学校の大きな役割のひとつになっています。 認められていると感じた子どもたちは、本当に自分の好きなことを探求する楽しさを学びます。また、そうして自然にお互いの個性を称え合い認め合うことを身につけていきます。 プレッシャーや過度の不安をもっての勉強は、学力の低下を生み子供の才能を伸ばさないと考えられています。   日本ではたくさんの不登校の子ども達がいます。この子たちはたくさん褒められてきたでしょうか?学校の勉強を楽しんでたでしょうか?探求心、感動体験をたくさんしていたでしょうか? 怒られてばかり、苦手な勉強ばかりだったら、だれでも学校に行く気持ちにはなれませんよね。現実社会から逃避したいという欲求から、ゲームという非現実社会で、自分が現実社会で達成出来なかった事を達成しようとします。 進学のための入試というものが基本的にないので、受験勉強をすることはありません。大学の入学には、高校の成績が一つの基準になります。但し、名門大学でも偏差値や成績がいいだけでは合格しません。人...

少子化対策がすすまない理由ー子どもは「授かりもの」

深刻化している「少子化」問題。 さまざまな識者が一家言あるものでしょうけれど、この減少を止めるには、妊娠・出産・育児が「自然」に属すものであるということを日本人が思い出すことなしには、進まないのではないかと考えます。 最近、不妊治療・無痛分娩の補助、児童手当の拡充、高等教育機関の無償化、育休手当の給付率の引き上げ等、少子化対策に関わる「お金」の施策が充実してきています。 大変有難いことなんでしょう。 しかし、「少子化対策」としての効果の見通しは明るくはないように思えます。 日本の人口減少予測では、中位推計で2100年の日本の人口は4700万人。 現在、1億2500万人(2023年統計)ですから、80年間で7730万人減る計算になります。 年平均97万人。秋田県一つ分の人口が毎年消えてゆくことになるのです。 県が一つ消える規模なのに・・・と嘆き、政府はこれまで何をしてきたのだと批判する人は多いのですが、このような人口減少問題を深刻な社会問題としてこれまで日本が本当に捉えてこなかったのでしょうか。 そんなわけはないと私は思います。 それなりに政治の中枢部では、ことの重大さはわかっていたはずです。 むしろ、「少子化」を声高に叫べば叫ぶほど、少子化が進むという言葉の呪力を信じていたのでは?と勘ぐりたくなります。 ただし、少子化対策をこれまで、それなりに実施してきたのだという自負を国が持っているとするなら、対策の要を「保育所を増やすこと」と捉えてきたことに、今も少子化が全く解決されていない理由があるように思えます。 今からおよそ10年前頃、「待機児童の問題」がしばしば、取り上げられたのは記憶に新しいかもしれません。確かに、待機児童の解消が求められていました。「保育場」は必要でした。 しかし「少子化対策」の政策の要を「保育所の増設」のみに委ねる考えは、どんなにアカデミックな根拠があったとしても、問題の解決に繋がることにならないと気づくべきだったと私は思います。 当座の待機児童の問題の解決以上に、少子化対策そのものが「保育所の増設だ」と考える学術的な理論があたかも真実であるかのように信じられていたのです。その根幹を支えていたのは、出産が経済的な効用でコントロールできるという経済学理論です。 「保育所を増やせば、子どもが増える」のだろうか。 素朴に「えっ?」と思う方もいると思います...

日本とのカナダの教育の違い④ キャリアライフ教育

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キャリアライフ教育は幼稚園から高校3年生で卒業するまでカリキュラムに入っています。ただ一つ職業を選択するというよりは、人のキャリアは人生の「旅」と考えられ、キャリア教育カリキュラムは学生にとって、個人的に意味のある目標志向の旅を追求する機会を提供することを目的としています。 幼稚園から小学校3年生までは、自分の得意なことを見つけていくこと、そして周りの人とコミュニケーションをとる大切さ。地域社会で生活する事は、家族や地域とのつながりを持ち、共通の目標に向かって協力して働くことで生まれる事。地域社会を発展していくためには、色々な人が色々なスキルや職業を持つことで、成り立つことを教えます。 小学校4年、5年で学習することは、 自分の強みや能力を把握することで、目標を明確にする事、他の人から自分がどう思われるか、みられるかは、個人の選択や決定に影響される事、家族や地域との関係は、問題解決や意思決定の際に支援や指導の源となる事。 良い学習習慣や働き方は、短期的および長期的な個人の成功やキャリアの成功に寄与する事、 リーダーシップには、他者の考えを聞き、尊重することが必要である事など、社会性の基礎を身につけていきます。 小学校6年、中学1年に入るといよいよ職場についての知識に入ります。職場では、周りの人に敬意を持ち、倫理的で包括的な行動を実践することが重要である事。自分個人のデジタルアイデンティティは、 公のアイデンティティの一部を形成する事。安全な環境は、全員が安全ルールを守ることに依存している事。学校内外の新しい経験は、キャリアのスキルセットや選択肢を広げていく事。リーダーシップは、良い計画、目標設定、そして協力が大切である事を学びます。 中学2年、3年からは実際に自分の好みやスキルを理解し、将来の職業選択に必要な知識を身につけて行きます。経済や労働市場の変化に適応するには、柔軟性が求められる事、私たちの生活、コミュニティ、社会における仕事の価値は、多様な視点から考えることができる事、学習目標を達成するには、努力と忍耐が必要である事も学びます。 キャリアライフ教育では、主に個人の人生設計のたてかた、計画、世界情勢、経済を踏まえた職業選び、生涯教育の大切さなどを学びます。簡単にいえば、「これから 社会の一員として生きていくために大事なこと」を学ぶ教科です。 ...