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【学会報告⑧・番外編】「ギフテッドは将来、診断名になるのか?」— 杉田克生氏との質疑応答で見えた、医療と教育の境界線

GIERI代表の石川です。 全7回の学会レポート本編に加え、今回は番外編として、杉田克生先生の記念講演後に行われた質疑応答の模様をお伝えします。 会場からは、当事者、医師、研究者など様々な立場の方から手が挙がり、予定時間をオーバーするほどの熱い議論が交わされました。 その中でも特に印象に残った3つのやり取りをご紹介します。 【質疑応答の記載について】 掲載している質疑内容は、当日のやり取りを筆者が解釈・要約したものです。不明瞭な箇所や発言の意図を完全に汲み取れていない可能性があり、実際の発言内容と認識の齟齬が生じる場合があることを予めご了承ください。 1. 「IQ130」へのこだわりは危険ではないか? 質問者(教育学者): 「日本はすぐに『IQ130以上』という数値にこだわりすぎているのではないか。ギフテッドの本質は創造性や社会的価値のある行動(才能)であり、IQはあくまで一つの指標に過ぎないはずだ」 杉田先生の回答: 「IQ検査が全てだとは思っていない。ただ、ギフテッドには明確な『定義』がないため、現状ではIQを一つの参考指標にせざるを得ない側面がある。 また、欧米では『タレント(後天的に環境で育まれるもの)』と『ギフテッド(先天的な天賦のもの)』を分けて考えるが、日本ではまだその整理がついていない。この学会などを通じて、日本独自の定義や共通理解を育んでいく必要がある」 【GIERI視点】 質問者の懸念はもっともです。IQというわかりやすい数値に飛びつくことで、数値化できない才能や、IQは高いが困り感を抱える子が見落とされるリスクがあります。杉田先生の言う通り、「定義がない」からこそ、私たちが議論を重ねていく必要があります。 2. 小児科医はギフテッドをどう診るべきか? 質問者(小児科医): 「同じ小児科医として、この領域に関心を持つ医師をどう育成していけばよいか。また、教育分野へどうアプローチすればよいか」 杉田先生の回答: 「診断基準にない以上、病名がつかないため、多くの小児科医にとって診療は難しいのが現実。3分診療、5分診療という保険診療の枠組みの中で、30分もかけて話を聴くことは経営的にも厳しい。 だからこそ、病名がつかない段階(5歳児健診など)で、保健師や幼稚園・保育園の先生と連携し、医療につながる前の『問題点の洗い出し』や『療育』へつなぐ仕...

【研修報告】ひきこもり146万人の現実と、家族に求められる「安心の土台」づくり

 GIERI代表の石川です。 11月26日(水)、多摩総合精神保健福祉センター主催の「ひきこもり支援研修」に参加いたしました。講師は、ひきこもり支援の第一人者であり、「オープンダイアローグ」の普及でも知られる筑波大学名誉教授・斎藤環先生です。 今回のブログでは、「ひきこもりの最新実態(統計)」 と、支援の第一歩となる 「家族の基本的心構え」について、GIERIとしての視点も交えながら共有します。 1. データで見る「ひきこもり」の現在地 まず、内閣府が2023年3月に公表した調査結果によると、ひきこもり状態にある人の推計は全国で 約146万人 にのぼります 。 ここで注目すべきは、その年齢層の広がりです。 15〜39歳:2.05% 40〜64歳:2.02% といずれの層でも約2%の出現率となっており、もはや「若者の問題」ではなく、全世代的な課題であることが数字からも明らかです 。 また、ひきこもりに至るきっかけも世代によって異なります。若年層(15-39歳)では「退職」「人間関係」「不登校」などが上位ですが、中高年層(40-69歳)では 「退職したこと」 が44.5%と圧倒的に多く、誰にとっても明日は我が身である現状が浮き彫りになっています 。 2. 深刻化する「高齢化」と家族の苦悩 研修では、斎藤先生が主宰する家族会(250名対象)のアンケート分析も共有されました。ここからは、いわゆる「8050問題(80代の親が50代の子を支える構図)」の深刻な実態が見えてきます。 本人の平均年齢:34.4歳 親の平均年齢:65.5歳 平均ひきこもり期間:155.4ヶ月(約13年) このように長期化・高年齢化が進む中で、支えるご家族のメンタルヘルスも危機的な状況にあります。精神的健康度を測る「K6」という指標では、うつ病・不安障害などの精神疾患が疑われる「13点以上」のスコアを示した親御さんが**43.0%**にも達していました 。 「親亡き後」の不安とケア、そして世間体という三重苦の中で、ご家族自身がギリギリの状態で支えている現実があります 。 3. 支援のゴールは「就労」ではなく「自律」 私たち支援者が、そしてご家族がまず共有すべきは、「ゴールの再定義」です。 斎藤先生は、学校や社会の価値観に従う「適応(就労・就学)」を目指すのではなく、 本人が自分の内なる声に...

【学会報告⑦】「教育学は変われるか?」—医師・杉田克生氏の提言と、2Eという言葉が映し出す日本のリアル

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 GIERI代表の石川です。 全7回にわたりお届けしてきた学会レポートも、今回がいよいよ最終回です。 記念すべき第1回大会の最後を飾ったのは、開催校企画記念講演、杉田克生氏(千葉大学子どものこころ発達教育研究センター客員教授/小児神経専門医)による「『ギフテッド・2E』 ─診たての歴史的推移」でした。 この講演は、私にとって単なる知識の整理にとどまらず、GIERIとしての原点、そして日本のギフテッド教育が抱える「ねじれ」と「希望」を再確認する、極めて重要な時間となりました。 【発表内容の記載について】   掲載している内容は、当日の発表を筆者が解釈・要約したものです。不明瞭な箇所や発言の意図を完全に汲み取れていない可能性があり、実際の発言内容と認識の齟齬が生じる場合があることを予めご了承ください。 1. 私の原点との再会:杉山登志郎先生の「第3のタイプ」 杉田先生は講演の中で、精神科医・杉山登志郎先生によるギフテッドの4分類を紹介されました 。 高い全体的能力(英才) 特定の才能(特殊な才能(創造性)) 高いIQと発達凸凹の併存(2E) 芸術的な才能(芸才) 実は、私が「ギフテッド」という概念に初めて触れたのは、まさにこの杉山登志郎先生の考え方を通じてでした。 杉田先生が講演で触れられた「3番目のタイプ(IQは高いが発達凸凹がある子)」 こそが、私の支援活動の原点であり、非常に馴染み深い定義なのです。 2. 教育学の変容:「知的ギフテッド」から「2E」へ しかし、この「発達凸凹と才能の同居」という医学的な実感は、これまで教育学の現場ではなかなか受け入れられませんでした。 私自身、さまざまな協議会などで「ギフテッド・2E」という視点を提示してきましたが、教育学の先生方からは「教育学には『知的ギフテッド』という確固とした概念が存在する」として、医学的な「障害」と「才能」を混ぜる考え方に難色を示されることが多々ありました。 ところが、今回の学会名をご覧ください。 「日本ギフテッド・2E学会」 です。 かつてあれほど抵抗感を示されていた教育学者が主導する学会が、堂々と「2E」を銘打っている。 これはある種、皮肉な現象に見えるかもしれません。しかし同時に、「日本のギフテッドの実情」 や 「本人・保護者・現場の声」が、従来の堅苦しい教育学の概念を突き動かし、...

【学会報告⑥】教室で「暇」にさせない! — 北欧の知見と日本の現場をつなぐ、通常学級でのギフテッド支援

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 学会報告第6弾は、高知大学の是永かな子先生による発表「日本ギフテッド・2E学会におけるギフテッド・2Eとは」を取り上げます。 是永先生とは、以前フィンランドの研究チームが日本のギフテッド教育現場を調査された際に、私がインタビュー協力や資料提供を行ったご縁があります。北欧の教育事情に精通され、年間200校もの学校現場を回られている先生ならではの、「教室の中のリアル」に根ざした提言は、非常に説得力がありました。 今回は、是永先生の発表から見えた「通常学級の中で実現する、多様な子どもたちの居場所づくり」についてお伝えします。 今回の発表では、北欧の事例と日本の現状を照らし合わせながら、「特別支援教育(Special Needs Education)」の文脈でギフテッド・2Eをどう捉え、学校現場でどう支えていくかについて、熱く語ってくださいました。 1. 「ニーズ」があれば、それは支援の対象である 是永先生はまず、1994年のサラマンカ宣言(ユネスコ)で提唱された「特別ニーズ教育」の原点に立ち返る重要性を指摘されました。 日本の特別支援教育は障害児教育の流れを汲んでいるため、どうしても「障害があるかないか」に目が向きがちです。しかし、本来の「特別ニーズ教育」とは、「通常のカリキュラムや指導法では教育を受ける権利が保障されない、特別なニーズを持つすべての子ども」を対象とするものです。 つまり、障害の有無にかかわらず、「授業が簡単すぎて暇で苦痛を感じているギフテッド(2E含む)」もまた、明確な教育的ニーズを持っており、支援の対象となるべきだという視点です。 2. スウェーデンの教室から学ぶ「個別最適な学び」 発表では、スウェーデンの教室風景が紹介されました。 そこでは、授業の前半は 「協同的な学び」 でクラス全員が関わり合い、後半は 「個別最適な学び」 として、一人ひとりが自分の課題に取り組んでいました。 適応機能が高いギフテッドの子: 友だちに教えたり、リーダー役を担ったりする(協同性)。 2E(ギフテッド+ADHDなど)の子: 自分のペースで、ICT教材を使って高度な課題に没頭する(個別性)。 このように、同じ教室の中にいながら、それぞれが自分の特性に合った学び方を選択できる環境。これこそが、日本が目指すべき 「インクルーシブなギフテッド教育」 の姿ではないで...

【パナマ編】銃弾とワイン、そして金貨5枚の「貸し借り」―AI時代に「人間力」が最強の武器になる理由

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  「パン! パン! パン!」 乾いた破裂音が、ホテルの窓ガラスを震わせました。 1989年、中米パナマ。 独裁者ノリエガ将軍に対するクーデターが発生した瞬間です。 当時、私は国内大手電機メーカーのトラブルシューティング(問題解決) のために現地に滞在していました。 「大使館に連絡すれば大丈夫だろう」。そんな甘い見込みは、 電話線の不通と共に吹き飛びました。 ホテルの外は市街戦。 ソニーの駐在員らと共にロビーに3人だけ取り残され、私は完全に「 詰んだ」と思いました。 その時です。 砂煙を上げて、 一台のいかついジープがホテルの前に乗り付けました。 命を救ったのは「契約書」ではなかった ジープから降りてきたのは、現地の販売代理店の社長でした。 彼はノリエガ派の有力者。「トガノ! 乗れ!」 私を押し込むと、彼はジープを急発進させました。 検問所では兵士が彼に敬礼し、道を開けます。 そのまま空港まで直行し、 私は間一髪でブラジル行きの飛行機に乗ることができました。 なぜ、彼はリスクを冒して私を助けに来たのでしょうか? ビジネス上の「貸し」があったから? いいえ。 彼との間に、 契約書以上の特別な取引があったわけではありません。 理由があるとしたら、それは「ワイン」です。 滞在中、私は彼と毎晩のようにワインを飲み交わしていました。 仕事の話はそこそこに、日本の歴史、パナマの誇り、 互いの家族のこと……。 「こいつとは波長が合うな(フィーリング)」 理屈を超えた直感で、私たちは友人になっていたのです。 別れ際、彼は私にパナマの記念金貨を5枚手渡してくれました。 (日本に帰って1枚10万円ですぐ売ってしまいましたが、 今思えば取っておくべきでした…笑) 「直感」という名の生存戦略 この経験で私は骨の髄まで理解しました。 平時には「マニュアル」や「組織」 があなたを守ってくれるでしょう。 しかし、有事の際――ルールが崩壊し、 銃弾が飛び交うような極限状況であなたを守るのは、 「 あなたという人間を好きでいてくれる誰か」 だけです。 「貸し借り」の損得勘定で作った人間関係は、 危機の前では脆く崩れ去ります。 しかし、「こいつと飲む酒は美味い」 という直感で結ばれた関係は、 銃弾をもすり抜ける最強のセーフティネットになるのです。 【現代の親御さん・先生方へ】 お子さんに「愛さ...

【学会報告⑤】「大嫌い一万倍」からの逆転劇 — 小児科医が見た、長期的なまなざしが育む2E子どもの才能

学会レポート第5弾は、京都教育大学の小谷裕実先生(小児科医)の発表をご紹介します。 小谷先生は小児科医として、発達特性を持つ多くの子どもたちとそのご家族に長年寄り添ってこられました。その発表は、医療者としての専門的な知見だけでなく、一人の人間として子どもを見守り続けることの尊さを教えてくれるものでした。 1. 「大嫌い一万倍」の衝撃と、そこから始まった25年 小谷先生の発表の冒頭、ある一枚のプリントが紹介されました。 それは、25年前、当時不登校傾向にあった小学生が学校から持ち帰ったプリントです。好きな恐竜について書くはずの欄に、その子は 「大嫌い一万倍」 と書きなぐっていました。 子どもの心にある怒りや悲しみが痛いほど伝わってくるその言葉。 小谷先生は、その子を「患者」や「子ども」としてではなく、一人の 「お客様(リスペクトすべき相手)」 として接することから関係を築き直しました。 幼児扱いせず、丁寧に情報を伝え、対等に向き合う。 そうして信頼関係を築き、1年かけてようやく実施できた発達検査の結果は、IQ130を超えるギフテッド(2E)でした。 2. 「診断」はゴールではなく、環境調整のスタート 小谷先生の話で印象的だったのは、 「医療の中でできることの限界」 と 「環境調整の重要性」 です。 医療が得意なのは「個人因子へのアプローチ(薬物療法やカウンセリング)」。 しかし、本当に必要なのは「環境因子へのアプローチ(学校や家庭の環境調整)」。 かつては医療から学校現場への介入は困難でしたが、この25年で状況は変わり、医療職が教育相談という形で学校に入れる機会が増えました。 診断名をつけることは、あくまで子どもを守るための「手段」であり、時には環境が変われば診断が必要なくなることもあるという柔軟な視点( 「雪解けモデル」 )は、現場を知る医師ならではのリアルな感覚です。 3. 長期的に見守るからこそ、見えてくる「開花」 そして、冒頭の「大嫌い一万倍」のお子さんのその後です。 不登校や二次障害に苦しみながらも、小谷先生や学校、保護者が連携して見守り続けた結果、その方は大人になり、 比類なき芸術的才能を開花 させているそうです。 学校の先生はどうしても数年単位で子どもと関わりますが、かかりつけ医としての小児科医は、幼児期から成人期への移行(トランジション)まで、10年、...

【学会報告④】「ギフテッド」とは何か? — アメリカの変遷から学ぶ、診断ではなく“教育”としての視点

 GIERI代表の石川です。 学会レポートも第4弾となりました。今回は、学会企画シンポジウムで登壇された関内偉一郎先生(昭和女子大学)の発表を取り上げます。 関内先生はアメリカのギフテッド教育制度の専門家であり、今回のシンポジウムでは「ギフテッド・2Eとは何か」という根本的なテーマについて、アメリカの歴史的変遷を紐解きながら解説してくださいました。 その内容は、ともすれば「IQが高い天才」というイメージで固定されがちな日本のギフテッド観に、一石を投じる非常に整理されたものでした。 1. ギフテッドは「医学用語」ではなく「教育学用語」である まず、非常に重要だと感じたのが、 「ギフテッドとは心理学的知見を基盤とした教育学上の概念であり、医学的な診断名ではない」 という指摘です。 これは当たり前のようでいて、日本ではしばしば混同されがちです。病院に行けば「ギフテッドです」と診断されるわけではなく、あくまで「学校教育の中で、特別なニーズ(支援やプログラム)を必要とする子ども」を指す言葉なのです。 2. アメリカにおける2つの潮流:静的モデルから動的モデルへ 発表の中で特に興味深かったのは、アメリカにおけるギフテッド観の劇的な変化です。 20世紀前半(伝統的ギフテッド観): ルイス・ターマンらの影響による、「IQ(知能指数)」 重視の時代。才能は「生まれつきのもの(天賦)」で「変わらない(静的)」と考えられ、「誰がギフテッドか?」という 選別(識別)に重きが置かれていました。 20世紀後半〜現在(才能開発モデル): 心理学の進展に伴い、才能を「育成・開発可能なもの(動的)」 と捉える 「才能開発(Talent Development)」 の概念が登場しました。 ここでは、IQという単一の指標だけでなく、 「領域固有の能力(特定の分野での強み)」 や、環境との相互作用による 「伸びしろ(潜在性)」が重視されます。 つまり、 「生まれつきギフテッドであるかどうか」 を探すのではなく、 「その子の持っている潜在能力を、いかにして具体的な才能(タレント)へと開花させるか」 という 教育的プロセス へと焦点が移っているのです。 3. 日本が今、考えるべきこと この「才能開発」の視点は、これからの日本にとって非常に示唆に富んでいます。 私たちはつい、「うちの子はギフテッドな...