【GIERIカナダ教育視察レポート③】「みんな一緒」じゃなくてもいい学びの形とは?カナダの公立小学校で見た、驚きと発見の記録
「みんな一緒」じゃなくてもいい学びの形とは?カナダの公立小学校で見た、驚きと発見の記録
2024年10月、私たちギフティッド国際教育研究センター(GIERI)は、カナダ・ブリティッシュコロンビア州の風光明媚な港町、ギブソンズを訪れました。目的は、地域に根差した公教育を実践する「ギブソンズ・エレメンタリースクール」の視察です。そこで私たちが目にしたのは、日本の常識からは少し驚くような、しかし教育の本質を深く問い直させてくれる光景の連続でした。
教室は校庭にあり、教科書は自然のすべて
視察当日、校庭では多年齢の子どもたちが集うアクティビティが行われていました。3年生から6年生までが混在する3〜4人のチームが、広大な公園のようなグラウンドに散らばっています。彼らの課題は、「自然の中から素材を見つけ、それを使ってショートストーリーを創作する」というもの。
あるチームは、細長い枝を「魔法の杖」に、大きな葉を「空飛ぶ絨毯」に見立てて物語を紡ぎます。そこにあるのは、知識の暗記ではありません。自然を観察し、想像力を羽ばたかせ、仲間と対話し、一つの作品を創り上げる――。
これは、カナダ・BC州の教育が最重要視する「探究型学習」そのものです。教師は答えを教えず、生徒の主体的な発見と創造を促します。学校という「場所」そのものが学びの資源となる「プレイス・ベースド・ラーニング」という考え方が、ごく自然に実践されていました。
今回、私も「富士山」についての授業をさせていただく機会を得ましたが、子どもたちの好奇心旺盛な眼差しと自由な発想力に、改めて感銘を受けました。
「静かに聞く」だけが授業じゃない?尊重される個々の学習スタイル
教室の中の光景も、私たちにとって新鮮な驚きでした。先生がクラス全体に話をしている最中にもかかわらず、ある生徒は静かに切り絵をしており、また別の生徒は自分の課題に黙々と取り組んでいます。
日本の感覚では「集中していない」と見なされがちなこの光景。しかし、カナダの教育哲学では、これは「分化された指導(Differentiated Instruction)」の一環です。学習のスタイルやペースは一人ひとり違うのが当たり前。手先を動かしながらの方が話に集中できる子もいれば、自分のペースで課題を進めながら耳を傾ける方が効率的な子もいます。
大切なのは、クラス全員が画一的に同じ行動をとること(統制)ではなく、一人ひとりが自分なりの方法で学習に参加し、他者の邪魔をしないこと(学習)なのです。
驚くべきことに、教室は誰一人として騒ぐことなく、むしろ日本の学校よりも穏やかで落ち着いた空気に満ちていました。それは、個々の学習スタイルが尊重されることによって生まれる、心理的な安心感の表れなのかもしれません。
ガラス張りの支援教室と、タトゥーの入った先生
校内には、ガラス張りになった別室がありました。中では、一人の教員が2名の生徒に個別指導を行っています。これは「インクルーシブ教育」の理念に基づいた、特別な支援が必要な生徒のための「取り出し指導」です。ガラス張りにすることで透明性を確保し、「特別な部屋」という偏見をなくす狙いがあります。誰も取り残さないという、公教育の強い意志を感じました。
そして、その指導をしていた若い女性教員の姿も印象的でした。彼女の腕には大きなタトゥーがあり、鼻にはリングのピアスが光っています。日本の「先生らしさ」とは異なるかもしれませんが、これもまたカナダの多様性を象徴する光景です。ここでは、教師のプロフェッショナリズムは見た目ではなく、その指導力と生徒への情熱によって測られます。
今回の視察を通じて、私たちはカナダの公教育が「個」を尊重するという理念を、いかに徹底して実践しているかを目の当たりにしました。
画一的な集団行動を求めるのではなく、一人ひとりの違いを認め、それを強みとして活かす。これからの日本の教育を考える上で、非常に多くの示唆を与えてくれる貴重な経験となりました。
こちらも参考に↓
【GIERIカナダ教育視察レポート①】地域経済と共鳴する実践的教育 — エルフィンストーン・セカンダリースクール
【GIERIカナダ教育視察レポート②】地域経済と共鳴する実践的教育 — チャテレック・セカンダリースクール
カナダ・ソーシャルエンタープライズ視察レポート
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