【学会報告②】「反復は地獄」「信頼して放っておいてくれた」— 当事者が語る学校の限界と、親に救われた瞬間

前回の記事では学会の全体像をお伝えしましたが、今回は「当事者を囲んでのワークショップ」について詳しくお話しします。

このセッションでは、小学5年生の久美さん(仮名)と、高校生年代(18歳・高卒認定取得済)の佐藤さん(仮名)が登壇し、自身の経験を語ってくれました。

彼らの言葉は、私たちが支援の現場で感じている課題を、鋭利な刃物のように浮き彫りにするものでした。今回は特に、「学校環境の課題」「親の関わり方」という2つの視点から、彼らの声を紐解いていきます。

1. 小学生年代の悲鳴:「みんなと同じ」が苦痛を生む学校環境

小学5年生の久美さんの発表は、日本の公教育が抱える構造的な課題を私たちに突きつけるものでした。

「黒板を写すのが疲れる。とにかく写せばいいというのがつまらない」 「反復や繰り返しばかりでやりたいと思えなかった」

彼女は現在、週のほとんどを教育センター(適応指導教室)で過ごしています。彼女が学校から離れた理由は、決して「勉強ができないから」ではありません。むしろ逆です。

すでに理解している内容を、クラス全員のペースに合わせて何度も反復させられる苦痛。 「工夫してノートを書く」ことよりも「黒板通りに写す」ことを強要される徒労感。 彼女にとって、通常の授業は知的好奇心を満たす場ではなく、我慢を強いられる場になってしまっていたのです。

「一人で落ち着ける場所、自分がぴったり入るぐらいのスペースがあれば嬉しい」

彼女のこの言葉は、集団行動による感覚過敏や精神的疲労を示唆しています。 授業の難易度調整(適応学習)もさることながら、物理的に「一人になれるシェルター」が学校内に存在しないこと。これが、ギフテッド特性を持つ子どもたちを学校から遠ざける大きな要因の一つであることを、改めて痛感しました。

2. 高校生年代の回顧:「信頼して放っておく」という最強の支援

一方、高校には進学せず、独学で高卒認定試験に合格した18歳の佐藤さんの言葉からは、思春期の親子関係における重要なヒントが得られました。

彼は、漢字ドリルなどの単純作業を「反復は地獄でした」と表現しました。 一回見れば覚えられるのに、なぜ何度も書かなければならないのか。その疑問と苦痛は、不登校という選択に繋がっていきます。

しかし、私が最も感銘を受けたのは、当時のご両親(特にお母様)の対応について質問された時の彼の答えです。

「母は、すごい自由にさせてくれた。信頼しているというか、『大丈夫でしょ』と思っているふうに感じた」 「悪意を持ったこともないし、何か特別なことをしてくれたから嬉しかったということもない。(ただ信じてくれていた)」

不登校になり、昼夜逆転し、ゲームに没頭する我が子を目の前にして、動じずに「信頼して放っておく」ことがどれほど難しいか、保護者の方なら痛いほどわかるはずです。 しかし、ときとうさんは、その親のスタンスがあったからこそ、「出る杭は打たれるが、出すぎれば打たれない」という境地に達し、自分の得意な方法(映像授業や独学)で、短期間で高卒資格を取得するという結果を出しました。

「教師も親も、頑張りすぎないでほしい」

彼が最後に残したこのメッセージは、支援者である私たちが、つい「何かしてあげなければ」と介入しすぎてしまうことへの戒めのように響きました。

GIERI代表としての所感

今回のワークショップを通じて改めて確信したのは、「学校の枠組みを変えること」「家庭が安全基地であること」の両輪の必要性です。

小学生のうちは、どうしても「学校」という環境の影響を強く受けます。久美さんのように「知的な飢餓感」や「集団の圧」に苦しむ子には、学校側が柔軟にカリキュラムを変更したり、別室を用意したりする環境調整が不可欠です。

そして年齢が上がり、自我が確立してくる中高生年代においては、親御さんの「信じて待つ力」が試されます。ときとうさんの事例は、親が焦ってコントロールしようとせず、その子の特性(学び方のスタイル)を信じて任せた結果、その子らしい花が咲いた好例と言えるでしょう。

ギフテッド・2Eの子どもたちは、既存の枠にはまらないからこそ、悩み、苦しみます。 しかし、その「はまらなさ」こそが、彼らの才能の源泉でもあります。

次回は、こうした子どもたちを具体的にどう支えていくのか、午後のセッションで行われた「事例研究」の内容をもとに、実践的な支援のあり方についてレポートします。


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