「普通になりたい」という悲鳴が問いかけるもの:京大生自死の報道と、ギフテッド・2E支援の深い死角

こんにちは。ギフティッド国際教育研究センターの石川です。

先日、知人より新聞の写真が突然送られてきました。

京都大学理学部に現役合格したものの、レポート提出などが困難で単位が取得できず、自ら命を絶ってしまった2年生の男子学生の報道記事が掲載されていました(「息子なぜ命断った」『毎日新聞』2026年9月8日)。

高い知的能力を持ちながらも、実行機能の凹みにより大学生活で行き詰まり、医療機関の診断待ちという支援の空白期間に孤立を深めていった彼の「俺は普通になりたかった」という言葉に、胸が締め付けられる思いがします。

GIERI(ギフティッド国際教育研究センター)にも、これと極めて類似したケースのご相談が多数あります。私はこの痛ましい出来事の背景に、現在の日本社会における「ギフテッド支援のいい加減さと無理解」が横たわっていると強く感じています。

「輝かしい成功譚」という生存者バイアス

学校や社会への不適応をきっかけに検査を受け、IQの高さが確認される。日本においてギフテッドの特性が発覚する典型的なルートです。しかし、問題児だと思っていた我が子が高IQだと分かった途端、親や周囲は「何とか上手い方法を見つければ、学業面での成功が収められるのではないか」と過剰な期待を抱いてしまいます。

巷には、「元ギフテッドチャイルド(現ギフテッド)」を自称する若者や一部の支援者による、「塾で先取り学習をしたらうまくいった」「進学校に行ったら環境が合って成功した」という魅力的な言説が溢れています。彼らの言葉は嘘ではないでしょう。しかし、これは極めて危険な「生存者バイアス」です。社会は、目を向けたい輝かしい才能の成功譚だけを消費したがります。

現実のGIERIの相談現場では、誰もが羨む進学校に進みながらも、全くうまくいかず苦しんでいるケースが山のようにあります。「高IQであること」「高学歴という社会的な成功を収めること」「才能を活かして社会でうまく生きていくこと」——これらは、全く別の次元の話なのです。


「普通」の呪縛と、学歴の罠

「普通になりたい」。高学歴の彼らはよくそう口にします。しかし、彼らが思い描く「普通」とは、良い学校を出て、良い就職をし、あるいは起業して成功するといった、現代社会が作り上げた極めてハードルの高いサクセスモデルに過ぎません。

彼らは、ささやかな自分に合った人生や幸せとは全く違う「作られた普通」に苦しめられています。受験戦争の中、「東大・京大に行かなければ人ではない」とでも言うような価値観を植え付けるトップ校の存在を今でも耳にします。その結果、せっかく有名大学に入り、さらに大学院へ進んでも全くうまくいかず、社会に出られなくなる人が多くいるのです。

「東大や京大に行ったのに、どうして?」という世間の冷たい眼差しに晒され、「自分は学校の勉強しかできないんだ」と絶望する若者たち。私たちはそろそろ、この「学歴の罠」から本気で抜け出し、多様な人生の選択を受容する社会を作らなければなりません。


「ギフテッドか、発達障害か」という不毛な問い

アイデンティティとは、確固として内側に存在するものではなく、社会の中で様々な人との運命的な出会いや偶然の遭遇の中で作られていくものです。自分自身の才能がしっかり最適化される場所さえあれば、それは決して「障害」ではありません。そしてその居場所は、アカデミズムやホワイトカラーの仕事、高給取りといった世界とは無縁の場所にあるかもしれないのです。

だからこそ、「ギフテッドか、発達障害か」という二項対立の問いは不毛です。

今回の京大生の事例のように、大学で合理的配慮を利用するために「発達障害」の診断が必要とされる現実は確かにあります。柔軟な配慮によって繋ぎ止められる命があるのも事実です。

社会や制度はすぐには変わりません。

何かを利用するために「診断」が必要であり、「障害」というスティグマを受け入れなければならないのなら、それは自分を守るための「道具」として冷徹に利用すればいいのです。

才能と社会の不適合に苦しむ若者たちへ

社会と自分の才能や特性が合っていないからこそ、苦しい。今の時代の「エリート」にはなれないかもしれない。しかし、才能と社会の不適合に深く葛藤するギフテッドだからこそ、得られる人間的な成熟が必ずあります。その深い葛藤を抱え、乗り越えた人間こそが、硬直したこの国や社会を前進させる原動力になると、私は確信しています。

良い大学に行けば話の合う仲間に出会えるというのは、幻想です。 まずは、学力以外の才能にしっかり目を向け、AS(自閉スペクトラム)やADHD傾向といった気質も含めて、自分自身を客観的に知ること。厳しい現実を突きつけられることにもなりますが、時代によって作られた「障害」の概念に自分を否定させる必要はありません。

自分をプロファイリングし、正しく自己覚知し受容すること。 それが、新しい時代を生き抜くための最初のスタートです。GIERIは、その確認のプロセスに徹底的に伴走し、皆さんがこの世界を自分らしく生きていけるようサポートし続けていきます。



参考記事:毎日新聞web版

「俺は普通になりたかった」京大生のSOS 足跡たどった母の決意https://mainichi.jp/articles/20260713/k00/00m/040/212000c

京大生の息子はなぜ自死したのか 発達障害疑い大学に相談も
https://mainichi.jp/articles/20260713/k00/00m/040/204000c



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