【学会報告⑦】「教育学は変われるか?」—医師・杉田克生氏の提言と、2Eという言葉が映し出す日本のリアル
GIERI代表の石川です。
全7回にわたりお届けしてきた学会レポートも、今回がいよいよ最終回です。 記念すべき第1回大会の最後を飾ったのは、開催校企画記念講演、杉田克生氏(千葉大学子どものこころ発達教育研究センター客員教授/小児神経専門医)による「『ギフテッド・2E』 ─診たての歴史的推移」でした。
この講演は、私にとって単なる知識の整理にとどまらず、GIERIとしての原点、そして日本のギフテッド教育が抱える「ねじれ」と「希望」を再確認する、極めて重要な時間となりました。
【発表内容の記載について】
掲載している内容は、当日の発表を筆者が解釈・要約したものです。不明瞭な箇所や発言の意図を完全に汲み取れていない可能性があり、実際の発言内容と認識の齟齬が生じる場合があることを予めご了承ください。
1. 私の原点との再会:杉山登志郎先生の「第3のタイプ」
杉田先生は講演の中で、精神科医・杉山登志郎先生によるギフテッドの4分類を紹介されました 。
高い全体的能力(英才)
特定の才能(特殊な才能(創造性))
高いIQと発達凸凹の併存(2E)
芸術的な才能(芸才)
実は、私が「ギフテッド」という概念に初めて触れたのは、まさにこの杉山登志郎先生の考え方を通じてでした。
杉田先生が講演で触れられた「3番目のタイプ(IQは高いが発達凸凹がある子)」
2. 教育学の変容:「知的ギフテッド」から「2E」へ
しかし、この「発達凸凹と才能の同居」という医学的な実感は、これまで教育学の現場ではなかなか受け入れられませんでした。
私自身、さまざまな協議会などで「ギフテッド・2E」という視点を提示してきましたが、教育学の先生方からは「教育学には『知的ギフテッド』という確固とした概念が存在する」として、医学的な「障害」と「才能」を混ぜる考え方に難色を示されることが多々ありました。
ところが、今回の学会名をご覧ください。 「日本ギフテッド・2E学会」です。
かつてあれほど抵抗感を示されていた教育学者が主導する学会が、堂々と「2E」を銘打っている。 これはある種、皮肉な現象に見えるかもしれません。しかし同時に、「日本のギフテッドの実情」や「本人・保護者・現場の声」が、従来の堅苦しい教育学の概念を突き動かし、より実態を伴うものへと変化させた証左でもあります。この変化には、正直驚きと共に、大きな感慨を覚えました。
3. 「2E」という言葉の違和感と本質
一方で、杉田先生は医学的な論理から「2E(Twice Exceptional)」という言葉への違和感も口にされました。「ギフテッド(教育概念)」と「障害(医学概念)」を並列に語ることの論理的な危うさについてです
「ギフテッドそのものが、発達の特性を持つのが普通であり、あえて2Eと表現する必要はないのではないか」
この杉田先生の指摘には、深く共感します。 彼らの「凸凹」は病気ではなく、彼らの才能の一部であり、個性です。あえて「障害」というラベルを貼らなければ教育できない今のシステムの方に、課題があるのかもしれません。
4. 教育者への問い:「障害児教育じゃないから教えられない」は通用しない
講演の中で最も胸を打ったのは、医師としての矜持と教育者への厳しい問いかけでした。
医師は、病が軽かろうが重かろうが、目の前の患者を治療します。 同じように、教育者も、その子に障害があろうがなかろうが、すべての子どもに教育を施すべきです。
「障害児教育をやっていないから、教えられない」
そんな言い訳は通用しません。杉田先生の講演は、「ギフテッドという存在を通じて、教育学そのものが変わるべき時が来ている」と、強く訴えかけているように感じました
GIERI代表としての所感:学会を終えて
今回の学会は、医学と教育、そして当事者の声が交錯する、まさに過渡期の日本を象徴するような場でした。 「診断」や「見立て」といった医学的観点は、私たち支援者にとって非常に参考になるものでした。しかしそれ以上に、「制度や学問の枠組みを超えて、目の前の子どもをどう支えるか」という本質に立ち返る勇気を、杉田先生からいただきました。
GIERIはこれからも、医学的な知見と教育現場のリアリティをつなぐ架け橋として、そして何より当事者の「実態」に寄り添う存在として、活動を続けてまいります。
全7回のレポートにお付き合いいただき、ありがとうございました。
GIERI(ギフティッド国際教育研究センター)
代表
石川 大貴
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